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古代の要塞を歩いてみましょう

1300年前の要塞「基肄(きい)城」とはなんだ!

1300年以上も前の古代に思いを馳せてみる

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7世紀後半、朝鮮半島では中国の唐と新羅(しらぎ)の連合軍が百済(くだら)を滅ぼしました。その百済復興のため、日本は援軍を送る決断をしましたが663年の白村江の戦いで大敗してしまいます。このため、唐と新羅の連合軍が国内に攻めてくるかもしれないという緊迫した情勢が生まれ、中大兄皇子(後の天智天皇)は大宰府防衛施設の建造を急ぎました。こうして665年に築かれたのが基肄(きい)城です。百済高官の指導により築かれたこの朝鮮式山城は、大野城とともにわが国最古の山城といわれ、山全体の地形を使い周囲4キロに城壁を廻らす壮大なもので、今もその雄大さを感じることができます。






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基山町イメージキャラクター「きやまん」は古代の防人をイメージしています。

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いものがんぎ

草スキー場から基山山頂への途中にある凸凹の地形は「いものがんぎ」(イモの畝の意)と呼ばれています。これは人為的に作られたもので、敵が攻めにくいように古代ではなく中世に作られたものと考えられます。


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礎石群

基肄城内には基肄軍団と呼ばれる軍隊が駐屯していたといわれています。食料や武器の倉庫、住居などの柱を据えたと思われる礎石群が今も多く残っています。

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東北門跡

福岡県筑紫野市との境界上にある東北門跡は、門柱を据えた礎石がはっきりと残る貴重な遺構です。この門は大宰府との連絡にも利用されたと考えられます。現在でも登山愛好者たちがこの門を通って基山山頂をめざしていきます。

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つつみ跡

この直径約18メートルのくぼみ「つつみ」は貯水池かのろし台の跡と考えられています。

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水門跡

谷を流れる筒川の水を通す「水門跡」。基肄城跡のなかで、もっとも見ごたえがあるといえるでしょう。悠久のときを経た今も水が流れます。谷口をふさいだ石垣も一部残り、ここは南門があったといわれます。

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土塁跡

土塁はいくつかの谷部の石塁(石垣)と一体となって山城全体を囲み、敵の侵入を防ぐための城壁を形成しています。土塁は、この城の外側斜面の急峻な地形を利用し、さらに強化したもので、外側斜面の上部付近を地形に沿って連なっています。。

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鐘楼跡

この地点には古くから「カネツキ」という名が残されており、伝承では寺院の関連施設があったといわれています。またここは、城内が一望できる場所にあることから、情報伝達用の施設があったとも推測されています。。

基山町立歴史民俗資料館

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基山町に関連する資料が集められた資料館。ここには基肄城から出土した瓦をはじめ、発掘の様子の写真など貴重な資料を見ることが出来ます。また、基山町と鳥栖市田代を中心に栄えた配置薬産業に関する資料なども豊富で、古代から近代までの基山の歴史を知ることが出来ます。


住所:基山町宮浦350-6
TEL:0942-92-0289
開館時間:9時~17時  休館日:月曜日・祝日・館内整理日など

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